食事介助という概念をなくそう

医療

色んな人が日本の無限延命システムを問題視し始めましたね。バブル期や日本の経済がいいときは今までのシステムでも成り立ったでしょうが、今や社会保険の負担が大きすぎて経済が成長しない状態。

スウェーデンは合理的な社会で延命治療は行わず、お金を将来へ投資するすることで成功しています。

食事介助という概念がないのです。食事を口元に運ぶことすらしません。自分で目の前にあるご飯を口元に運べないならそれは寿命と判断されます。そのまま脱水になり枯れるようになくなります。

一方日本ではどうなるでしょう。食事が食べれないなら胃瘻・・・はさすがに少なくなりました。でも食事が食べれない高齢者がいる急性期病院はなんとかして出ていってもらわないといけません。治療してもよくならないのですから、いる意味がありません。

しかし療養型病院も施設も食事が食べれない人を受け入れてはくれません。そうなると次なる手は「中心静脈栄養」です。足の付け根や首の付け根から太い管を通し、そこから血管に直接栄養を送り込みます。喉から一切ご飯を食べなくなり、生かされ続けるわけですね。そうしてめでたく療養型病院に移れた患者さんは肺炎や尿路感染といった感染症で死ぬまでは生かされます。

問題はこれを保険診療でやっていることです。すべて自費にするべきだと考えます。

自費になれば1日あたり2,3万円の費用もしくはもっとたくさんの費用が発生するでしょう。そこまでして生き残りたい人は自分で払ってください。家族も生き残ってくれたらいいと考えるなら自分で払ってください。おそらく大半の人はしなくなるでしょう。なんだって保険ならほぼタダですから。年金でプラスになるこの状況こそがおかしいです。

お金がない人はしなないといけないのかと言われたらそうとしか言いようがありません。なぜお金がないのに現役世代から無限にお金を引っ張ってこれるのでしょうか。それを疑問視しないのは単なる自分勝手です。